標高900mの畑、戸隠での野菜づくり

『農家日記』を付けていますが、その補遺のようなものです。
補遺というよりは、写真も貼り付けたりすれば、野菜づくりについては、こっちの方がメインの記録になるかな? (2017年3月1日)

鬼女の岩屋

私のメインの畑から北に見る荒倉山は、鬼女紅葉(きじょもみじ)の伝説の山ですが、二男が友達と来たので、そこを超える林道を行ってみようということになりました。


その林道の一番高い所はトンネルで超えるのですが、トンネルの入口からわずか100mのところに紅葉が住んだとされる洞窟があり、4人連れなのに勢いを得て、私の妻が行きましょうよと言い出しました。


私としては、小学生の時に何回か行った所で、50数年ぶりに行ってみると、はっきり言って、このような小規模な洞窟に紅葉という京の都の女郎が住んで、配下の郎党を持って「悪事」を働いたとは、とても思えませんではした。他にも、荒倉山には鬼女紅葉にまつわる場所がいくつもあり、今は長野市域であるかつての鬼無里村は、その鬼のいない里という奇妙な村の名からして、この伝説に深い関わりがあります。鬼無里では、鬼女どころか、善政を施した都の女という位置付けらし、、、。


戸隠・鬼無里両村でもって、東北のどっかで生まれた幼名呉羽(くれは)、その美貌をもって京に上り、天皇ではなかったと思いますが、誰かの寵愛を受けていい気になって権勢を振るったのでこの山里に追放された後の名は紅葉(もみじ)、、、。


あとからのこじつけというには、念が入りすぎているので、何かあったのだろうと思います、、、。よく分からない。第一、私としては、何も「研究」していないので、あれこれ言う資格なしです。


初めはこの荒倉林道を行くのを不気味がった妻が、ぜひ行ってみたいと、ついの住処となるこの土地の郷土愛に目覚めたようなことを口走ったのを、私はまあうれしく思います。


荒倉林道を行くなら、私が何度見ても飽きないのは、人工物が全くないこの眺望です。今日は、見事に水平の雲が戸隠西岳の尾根を隠していましたが、、、、。

絶景に見とれる二男(手前)と、その友人。そのM君ですが、ほんとにいい男と思いました。4歳と2歳の子がいるそうですが、「また、来ます、子どもを連れて、、、」と言って、先ほど二男の運転する車で長野駅に向かいました。


去年のお盆ごろには、長男が知り合いのベルギーの若者を連れてきたし、今回は二男の友人、、、。


あばら家だけど、ごちゃごちゃしたものがないすっきりとした古民家にすべく頑張ってくれたのは、まさに二男です。母屋も土蔵も、素裸の、貧しいから物がなかった、私が子どもであった時の状態に戻った感じです。


荒倉林道の入口に、荒倉キャンプ場があって、今日は信じられないような賑わいでした。目を疑う、または目を見張る、、、。長野ナンバーの車が、ざっと見て5,60台。小学生以下の子供たちと、その親たちが200人以上、、、。


毎年10月の紅葉のころ、このキャンプ場で鬼女紅葉祭が行われて、「能楽堂」がその一画にあるのですが、謡がうたわれ、他に何かが演じられるようですが、その時以上の人出で、びっくりしました。


二男が今回帰省したのは、このため、、、。主に土蔵にあった古い家具類を処分することでした。これで、ほぼ終わりです。我が家の土蔵にあったものは、すべてガラクタで、お宝は一つもなし。畑に持っていって、燃やす。男3人は、盛大なキャンプファイヤーを見ながら、ビールで乾杯。


土蔵そのものも、もはや打ち壊して支障はないことになりましたが、それをするなら大変なお金も掛かるので、もちろん、残します。では、どうするか?結局は収納場所ですよね。


二男がこの家の片づけにこれだけこだわったのは、口には出さないけど、先のことを思っているのかも知れません。この家に住んで登校したことは一日もないけど、我々夫婦が亡き後も、いわば別荘として、保持したいのかな。かなり気に入っているようです。


それで、いいです。

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