標高900mの畑、戸隠での野菜づくり

『農家日記』を付けていますが、その補遺のようなものです。
補遺というよりは、写真も貼り付けたりすれば、野菜づくりについては、こっちの方がメインの記録になるかな? (2017年3月1日)

スパゲッティをスプーンで食べる

長男が勤めている県立病院は須坂市にあって、その町は知らないではありませんが、程よい規模で、落ち着いた感じがいいです。


この町で今でも戸惑うのは方向感覚で、北と南が逆であるような感じがします。それは、北に向かって坂になっている長野市とは逆に、須坂は南の方が高くなっているからです。
それと、扇状地の町なので、直角に交わる道路が少なく、うかつに走っていると元のところに戻るようなところがあります。

診察のあとは、長男の嫁さんと孫の女の子がいる家に寄って昼食をいただく。
孫の女の子は、どうもそのたびに何か別の一つのことを集中的に演じてみせるようなところがあって、これはたい焼きを食べているところですが、今日はスパゲッティをスプーンで食べることに拘りました。

うまくいかないのを承知の上で、お母さんがフォークを勧めるのを無視して、スプーンを離さないのです。それと、野菜スープというかミネストローネは、トマトがきらいだそうで、食べようとしませんでした。


らちがあかないので、とうとうフォークを手に取ると、目一杯のスパゲッティを咥えて顔を振り上げたりする。それが少しずつ飲み込まれていきます。大人3人が注目して笑ったりすると、その食べ方でいく、、、、。なかなかの役者だなあ!と、祖父は感心します。


午後1時ごろ帰宅したら、国華園への注文品であるラディッシュ15袋が届いていました。この会社では、コンビニ支払い手数料が200円かかるのが気にいりませんが、どうも種はネットで好きなもの、気に入ったものを買うに限ると改めて思います。


ホームセンターなどにある種のラックには、ずいぶんたくさん並んでいると思うけれど、あれが欲しいと思って行ってみると、それはまずないですね。代替えのものを買うことになります。


通りがかりの園芸店で、ガーベラとキンセンカの苗を一本ずつ買ってきて、福平の畑の焚火の跡を小花壇にすべく、植えました。


今日は時間が短かったけど、妻はコールラビをさらに150本ほど植え増しました。


私は、川砂に埋めたジャガイモのアンデスレッドがちっとも芽を出さないのに業を煮やして、砂から掘り出して畑に埋めました。


ガーベラなど買った園芸店には、ひょっとしてアンデスレッドの種イモがあるのでは?と、期待して寄ったのです。それは、無し。その代り、親切な店主で、須坂市の何々という店は、種ジャガイモは20品種ぐらい用意する店なのであるかも知れない、行ってみたら、、、と教えてくれました。


今後は、長男のところに行くたびに、その店に寄ってみようかな?今日のところは、電話でアンデスレッドがあるかどうか、尋ねました。


あったけど、それは早目に売り切れました、、、と。長野の人たちは、親切で率直なものだと、ちょっと嬉しくなりました。


なぜ、早く売れるか?人気の品種だからではないと思います。貯蔵性に劣るというのかな、早めに芽が出る品種だからと思います。そこが私にはいいのであり、だから当地でもアンデスレッドなら秋ジャガとして二期作も可能です。


選択肢が限られるホームセンターの種。まあ、これでもいいかと枝豆の種を買ってきたので、35ポットに2粒ずつ播きました。出来のいいものは、苗として出荷してみます。


今後、苗を出荷できるかも知れない野菜を考えてみました。20品目、思いつきました。


くらかけ豆、枝豆、ブロッコリー、カリフラワー、パセリ、スイカ、韓国カボチャ、青シソ、リーフレタス、パクチー、トウガラシ、ミョウガ、食用菊、リーキ、ニラ、キュウリの四葉(スーヨー)、食用ホオズキ、モロヘイヤ、ルッコラ、バジル。


いろいろ考えたり、企んだり、作業は多岐にわたる、、、。野菜づくりは、愉しいものです。


夜7時半から神社関係の会議でした。私は昨年の12月にこっちに住所登録をした新参者ですが、言うべきことは言わせてもらいました。


この神社の寄付金は5500円だったところ、今年は7千円にすると役員会で決め、それでいいかというのです。


人口はますます少なるところ、今まで通りの祭を催行しようとするから、そういう安易なことになる。決して祭などには行かれないお婆さん一人の家にもそれを強いるのか、、、。第一、寄付金を上げるというのに、今年の予算案が示されないのはおかしいではないか。そうしたら、ここに原案があるので、回覧を、、、。


そういうわけで会議の雰囲気ががらりと変わりました。打ち解けて、発言が多くなりました。今年はとにかく「閣議決定」のように少人数で決めたことでやらせてもらいたい、来年のことはまた考え直す、、、。そんなことになりました。


信州人は理屈っぽいとよく言われますが、私もそうだなあ。一気に、何と生意気な新参者のポストホルンと、20名ぐらいに注目されてしまいました(笑)。


長野県の南の方に、”日本一短い祭り”をする地区というか、神社があります。氏子一同が並んで、一礼して終わり、、、。あと、このあたりでは神様が多過ぎます。いちいち丁寧な祭りをするのは、どう考えたって無理なので、合祀をするとか、ある祭りであっちの里宮のことも祝詞で触れてもらって済ませるとか、、。


そこまでは言いませんでしたが、私にも偏頗であるかもしれないけれど、考えはあります。

マルチを剥ぐ

雪が融けて畑に行かれるようになったら、真っ先にすることは、マルチが張られたままならそれを取ることだと、つくづく思い知らされました。


ぐずぐずしていたら、マルチの両脇と、穴あきマルチならその植穴の雑草が大きくなって、剥ぎにくくなりました。


今日はたとえ一本でもと思って、剥ぎました。

①の区画の下の方のここに、穴あきマルチがあったのですが、苦労して、多分40分ぐらいかかって、剝ぎ取りました。

右隣のマルチも取るつもりなので取ればいいのに、雑草を粉砕したい衝動に駆られて管理機で耕耘しました。そこだけではなく、一番向こうの⑥の区画まで通しで耕耘しました。


西から④①⑤⑥と4区画を通しで行くと80m以上あります。それが、面白いとも言えます。

結局、右側のマルチも剥ぎ、また耕耘しました。

左側の穴あきマルチは、やや雑草に覆われることが少ないので、植穴の草を除去した上で紫コールラビを100本ほど。これは、妻に植えてもらいました。張りっぱなしで、3年目となるマルチです。
採り残しのリーフレタスは、出荷できるものにはなりませんが、自家用で大きくします。

きのうTさんの手伝いがあった時に、パイプハウスの北側を片付けて、耕耘してしまったのは「快挙」でした。
特に、3年ぐらい、枯れ草やゴミなどを燃やした場所は、こんもりとした小ボタ山になっていましたが、そこも崩し、耕耘しました。
まあ、汚ならしい土というか灰の堆積でしたから、そこを小花壇にすることにして、目につくものといえばカモミールしかないので、それを移植しました。

野菜を洗ったり、移植した苗に水やりをするのに、もう一つ大きなたらいがありますが、まずは2個、ハウスの脇に置きました。
ホースの長さは、農道脇の水路から100mぐらいです。昨日までは何故か具合が悪かったのですが、ホースの継ぎ手を一部替えたら、そこで水の流れを簡単にチェックできるようになりました。
この水は、「仁水」と思います。仁水という語は、広辞苑にもありませんが、徳富蘆花の『みみずのたはこと』にあったので、覚えました。


上の農道から見ると、全体としては、まだまだ耕耘したのはほんの少し、、、。
まあ、仕方がありません。下の方から攻めていって、今年こそはただ雑草が生えているだけという区画はないようにしたいものです。


その上に、寸土を惜しんで、空きがあったらラディッシュなどをちょこちょこっと播きつけるようになれば、達成感この上なしですね。そこまでは、どんなに頑張っても、いきませんね。


ただ、さっきの仁水のことですが、まったく清浄な水を畑まで引けるのは、何とも言えない幸運です。


大根やカブやニンジンなどの根菜類は、洗うのが面倒だし水道代もかかるから、ついためらう人もいると思いますが、私の場合は畑で洗うことができるので、積極的に栽培しようと思います。


きのう出荷したエンドウとソラマメの苗の売れ行きがよくて、1ポット残っているだけです。アサツキは、売れゆきよくないです。

Tさんのお手伝いの初日

今日の天気については、予報を見誤っていたのでしょうか。


朝起きたら、なお雨が降っていたのが予想外で、出荷に向かう時にもワイパーを動かしました。

晴れに向かう感じではあったけれど、長野市街の方角を見れば、不穏な雲の様子でした。


中間点近くに商店があるのですが、そこの駐車場から北の方、つまり自分の家や畑がある方面を振り返れば、そっちの方はもっと怪しい感じでした。


出荷を終えて、裏側から善光寺に向かう街道ではサクラがほぼ満開でした。


「今日はダメそうですね」と、Tさんに電話をしないでよかった。私の頭にある今日の天気予報通りの晴れのようです。


実際は、不安定な天気の一日となり、5時までのところ、2時半にTさんには上がってもらいました。私自身も後片付けをしてから、退散です。雨は降るし、寒くもなり、霙か雪にでも変わりそうな具合でした。


まだ体が一日フルの畑仕事に馴染んでいないので、せっかく来てくれたTさんには悪かったけど、このぐらいでちょうどよかったとも言えます。


Tさんも、自分でキッチンの改修に取り組んでいるそうで、その作業ができると、むしろ喜んで早上がりでした。


自分でキッチンの床を張り替え、壁は杉板にするほどの人ですから、今日は三つの雨除けの仕掛けをしてもらいました。


まずは、小屋の前のもの。


胡瓜支柱で3.6mのものが前からあったのですが、農業用ビニールを二重に張り、小屋からブルーシートを差しかけてもらいました。

小屋の西側にも同じく3.5mの長さの雨除けがあったのですが、冬の間はブルーシートを外してありました。
そこも、私が自分の考えでできないでもありませんが、はるかに堅牢に、シートが風でバタバタしないように張ってもらいました。


小屋の前のパイプハウスは、長さは16mで、かなり大きいものです。葉タバコの乾燥用でしたが、私は有効に使ったことは一度もありません。廃品回収業者に連絡して撤去してもらおうかと思ったことさえあります。


これだけが、父のまた母の営みの形見として残った唯一のものと言えるので、残しておいてよかったです。


私は、13年前に、父親が癌で余命長くないという時に、二男も大学生となったので、もう岡山にいる意味もないので帰郷しました。しかし、実家に戻ったのではなく市内に住んで、新しい勤めを始めて、休日にだけ畑で野菜づくりを始めました。


その時すでに、父は畑で働くことはできなくなって2年ぐらい経っていたでしょうか?八つの区画のうち3区画だけが、いわば我が家の畑で、残りの5区画は親戚筋の家が耕作していました。


その様子を見るのに、畑の使い方がいかにも汚らしいし、農薬はバンバン使う、、、。我が家の資材なども、使えるものは何でも遠慮なく使う、、。腹立たしくてならないので、こっちの手には負えないけど、少しずつ区画を返してもらって、全部が戻ったのは4年前ですかね?


6っつあったもっと簡便なハウスも農機具も、業者を呼んで持っていってもらったけど、このハウスの残骸だけが残った、いや、それと小屋、、、そのことを言うつもりでしたが、話がとばっちり的に散らかりました。


でも、人の畑だと思って好きなように使うあの様子は、実に耐えがたいものでした。そのことは、ああいうやり方は私は反面教師として捉えているので、ここに書くことに意味なしとはしません。


たとえば、動噴を背負って頻繁に消毒して回るのは目を背けたいほどでしたが、いま私がまあ無農薬で野菜をつくっている、、、その結果は、、、


1 大抵の野菜は無農薬で、問題なくできる。
2 逆に、はじめ不気味なほどの根こぶ病を見たのに、今は皆無である。農薬は使えばつくほど、おかしなスパイラルにはまっていくかもしれない。
3 全体的に、畑が清浄なものになっていくのを感じることができて、無農薬です!と標榜することはできませんが、出荷する野菜には内心に自信があり、後ろめたさがまったくない。


Tさんのことを思い出すと、彼は農家の人ではありませんが、会社勤めをしながら農協に勧められたので、何年間かは畑を借りてインゲンか何かを育てた経験があります。


だから、私がまず無農薬、それに化成肥料は極力使わないと話しますと、それで野菜ができるはずがないという慣行農業の考えでした。


ところが、私が肥料といえば過リン酸石灰と鶏糞(これは、分類上は堆肥です)しか使わないのを目撃した上で、畑の作物を持っていってもらううちに、美味しかったと評価してくれるようになりました。


奥さんの方が、先にそれを言われたことをTさんから聞いて、私は嬉しかったです。秋も遅くなって、奥さんが私の畑に行ってみたいという希望で、ご夫婦で二度来られた。そして、どうせ雪の下になる野菜だから、好きな筋のものを自由に採ってもらいました。


身近なところではTさん夫妻、それに長男の嫁さん、多分一番には妻が、美味しいといってくれます。ほんとにそうなのか、どうなのか?よくは、分かりませんが、何の感想もないよりは、お世辞でも評価してもらえれば嬉しいものです。


今年の野菜づくり、ますますがんばろう。すべきこと、工夫のし甲斐がこんなにたくさんある野菜づくりは、愉しいですね。年金だけではやっていけないので、野菜をつくって足しにする、、、このへんの動機も、悪くないです。