標高900mの畑、戸隠での野菜づくり

『農家日記』を付けていますが、その補遺のようなものです。
補遺というよりは、写真も貼り付けたりすれば、野菜づくりについては、こっちの方がメインの記録になるかな? (2017年3月1日)

はじめて畑に踏み入る

今までに3回、何となく畑の雪の様子を見るために行っていましたが、今日はちょっとした農具である三角ホ―が必要になったので、それを取りに行きました。


〚ここが戦場だ】、、、私が好きな作家の一人グレアム・グリーンにそういうタイトルの小説がありますが、戦場というよりは、【私の天国】です。


南の方のすぐ近くに10名ぐらいしか住人はいない集落がありますが、東西と北の方角には人家は見えないこの畑の立地が、私は大いに気に入っています。


撮影順、時間順に今日一日を振り返れば、朝まだき、薄雪が地面を覆い、霜柱がすごい。

ああ、なるほど。先に写真を貼り付ける、そして、その説明のように一日を振り返る。これは、いいですね!


今はまだブログを書くのに時間を割けるけど、忙しくなると、箇条書きのブログも書けなくなるだろうと危惧していました。

この写真だけ何故か小さなサイズ。昨夜はセルトレイおよそ30枚を畑のトンネル内に置きましたが、低温には強い野菜のタネを播いているわけですから、全部無事でした。昨夜の最低気温は-3℃ぐらいだったでしょう。


軒下の電熱マットの日中の覆いをどうするか?今までは気楽に、たっぷりの日差しを浴びせて光合成を促すという生半可な考えで覆いもしなかった日々もあり、寒風で苗を傷めました。


今日はまずビニールを被せたあと、新規に被覆シートを掛けてみました。ものすごく強い日差しではないどころか、風が冷たい一日でしたが、日差しを和らげるのにパオパオは有効でしょう。


除雪車が除雪対象外とする農道から、くっと上って畑に入ります。少しだけ、雪が融けています。


私が③の区画としているところから北の方を見ると、傾斜がある畑なので、法面などは真っ先に雪が融けます。

この貧相な小屋が、今年の大雪でもまあ無事だったことをうれしく思います。屋根のトタンは、雪が降ろうが降るまいが、何とかしなくてはなりません。

小屋の内部は雑然たるものですが、雨漏りもごく一部で、まあまあと思いました。でも、畑仕事の前に、この小屋を片付けなければりません。というか、そうしましょう。


この小屋はムラの大工の棟梁のお宅の物置を移築したもので、さすが棟梁の仕事と私は思います。そうでなければ、ここまでは持たないでしょう。ただ、3年前の地震で、ゆがみました。


13年前に亡くなった私の父親は短歌が趣味で、一生作り続けました。畑仕事をしながらも歌のことを考えている具合。


癌で入院する途中に投函した一首。


五十年 出入りせし野小屋 今閉じる 老いの離農に 冬の月光


これは、その年の信毎歌壇の年間賞となりましたが、五十年というのはちょっと大袈裟かな。しかし、今となれば、この小屋は50年は畑にあると思います。 

まだ雪の下には、ほうれん草などがありますが、おもてに顕れて採り頃なのはフキノトウだけ。今日は採りませんでした。


今日の種播き。
☆ アスパラガス メリーワシントン (タキイ種苗) 128穴トレイ 1枚 1粒撒き
☆ 大葉春菊 (国華園) 200穴トレイ 1枚 3粒播き
☆ ほうれん草 朝霧 (渡辺採種場) 200穴トレイ 2枚 2粒播き
★ 庭先(小)の畑に直播 ほうれん草 オーライ (タキイ種苗) 15m畝 5条 2粒播き 1500粒


庭先の小の畑は、上の方から攻め下っている感じです。それは、今までになくいい感じで、もう寸土を惜しんで何かしらギチギチと育てようと思います。


ちょっとした隙間があったらパラパラとラディッシュでも播きつけるとか、ですね。サンダル履きで行って、収穫して来る、、、。その野菜は、実際ものすごく美味しいです。


明日は、庭先(大)の畑に手を着けようと思います。まず、測量です。一画には、葛の蔓が入り込んでいるので、それも何とかする、、、。一日では、無理。

カーボロネロ(黒キャベツ)

一週間ほど前に注文した種が、昨日届きました。

中でも初めて手掛けるカーボロネロには強い興味を持ち、種袋の到着が待ち遠しかったです。


しかし、袋の後ろの栽培適期表を見ると、7~8月に播いて収穫期は11月中旬から3月とあり、今は手を出せません。「平暖地」の作型しかないので、どうも当地には向かないのかも知れません。


わかさま黒という小葱を播くには、縦8穴横16列の128穴のセルトレイが適当と考え、手持ちのそれを使い切ったので、買いに行きました。


国道406号線の裾花大橋のたもとに車を停めて写真を撮りましたが、それはダム湖の水が春でなければ見られない色をしていたのと、こうしてブログを書くのに何かしら写真があった方がいいからです。


車で一気に走り抜けるにはちっとも怖くはないですが、歩いて少しでも橋の真ん中の方に行くのは怖い、、、。昨日の日本酒による二日酔い気味状態では、いよいよ怖い、、、。


そっと湖面を覗くのも、実に怖い。


この橋のたもとに右に分かれる道路があって、遠回りだけど今日はそっちへ行くことにしました。長野市小田切地区を走る山道です。


少し上ると、手前にわずかばかりの棚田がありその向こうがダム湖であったり橋であったり、対岸の道路であったりですが、この棚田で作業するのは、怖がりの私は御免こうむります。

ダムや橋やたくさんのトンネルができたのは、私が高校生の頃だったと思います。50年前です。私は下宿をして高校に通ったけど、土曜日に家に帰るのに乗ったバスは、その頃はお客さんでぎっちりでした。


その前は、バスは裾花川のすぐ脇のまだ舗装もされていない道を走りましたが、もっとぎっちりで、吊革に掴まる具合でした。今は、ほとんどお客さんのいないバスに行き交います。


セルトレイだけでなく、いろいろな買い物をして帰ると、私の「ムラ」は霧に包まれていました。雨もずっと降っており、冴えない日です。


この「ムラ」は、最小の単位で「組」と言われて、その上が「区」になります。昨日は組総会で配られた資料の一つである「寄付人足出面表」には38名(戸)があります。組としては、旧戸隠村で戸数は多い方です。


寄付人足?出面表?どっちも、私には面妖な日本語ですが、それはともかく、この表を見ると、3名(戸)が外からの移住者というか、無住の家を買ったか借りている人たちです。そして、定住ではありません。


あるお宅の場合は、湘南ナンバーのベンツが2台ある上に、スバルの何て言ったかな、私の長男も乗っている車も乗りつけてきますが、ムラの人たちとは没交渉のようです。レガシイでした。


私は農家組合長という農協の下請けのような役を仰せつかっていましたが、昨日事業報告と会計報告をして、この役はこれで終わりです。


生まれ故郷に住所を移したのは昨年の12月のことですが、その前からこのムラの役を引き受けざるを得ないほど人手不足なのです。


昨日3月19日の種播き。
☆リーフレタス ロログリーン(国華園) 200穴トレイ 2枚
☆リーフレタス ロロロッサ(国華園)  200穴トレイ 2枚


今日の種播き
☆小葱 わかさま黒(武蔵野種苗園) 128穴トレイ 4枚 10数粒播き
☆小松菜 河北(渡辺採種場) 128穴トレイ 1枚 2粒播き
☆黒キャベツ カーボロネロ(増田育種場) 128穴トレイ 1枚 1粒播き

「ムラ」の集会と、そのあとの慰労会

日本酒をたくさんいただいたので、帰宅しても、へたり込みそうです。よく無事に帰って来れたものです。結局、ブログなどと言わず、もう寝るしかないですね。


午前中は、まあ、まとも、、、。2時からのムラの各種団体の報告は素早く、すべて承認されましたが、そのあとの慰労会がきびしかったです。日本酒は、きく!危険です。


飲み過ぎなければ、百薬の長、、、、。


(この写真の説明からは、翌朝21日の記入です)
朝の柔らかい光を浴びる軒下の苗。実は、覆いを取って苗を見るのが、以前は喜びでしたが、今はそうでもないのです。


エンドウ苗が、なぜか傷んでしまったからです。

台所には、外に出すべき苗がぎっしり。


「実験」のために屋外、つまり、畑のビニールトンネル内に前の夜置き放しの小松菜とほうれん草。あまり冷えなかったので、全然平気です。


今となれば昨夜は、セルトレイ20枚ほどを置き放しに、、、。まだ見ていないけど、大丈夫でしょう。