標高900mの畑、戸隠での野菜づくり

『農家日記』を付けていますが、その補遺のようなものです。
補遺というよりは、写真も貼り付けたりすれば、野菜づくりについては、こっちの方がメインの記録になるかな? (2017年3月1日)

寂しいお盆と暗い天気

昨日は迎え盆で、この田舎でも、町に出た子供や孫が帰省して、早めの食卓を囲む家が今でも少なくありません。


我が家では妻と二人。二人の息子たちとその家族が来てリユニオンの気づかいはないので、目いっぱい畑で仕事をして、それから盆棚をしつらえるというやっつけ仕事です。

このあたりでは、座敷に盆棚を作って、仏壇から位牌などをそこに移し、お供え物を上げて、お盆の間はその盆棚の近くで食事をする習わしですが、私がどうも敬神の念もご先祖様を忍ぶ気持ちも薄い問題児というか、問題オヤジです。


盆棚も、30年ぐらい前に近くの大工さんに作ってもらったものがあったのですが、毎年それを組み立て、またばらして土蔵にしまう煩に耐えられないので、簡便なものに替えました。


父母、祖父母、曽祖父母の位牌だけをここに持ってきて、そもそもご本尊様は仏壇に置いたまま、、、。何という親不孝、先祖不幸な後世の私であることか。


私にも言い分、理屈はありますが、それはここには言わないことにします。


曾祖父母は知りませんが、祖父母から私の長男夫婦まで、4代のポストホルン家の系列があるのですが、男系に限ってみれば、その中で最もダメなのは私であると、よくよく自覚しています。


では、だれが「優れている」かと思い巡らすと、仕事とか稼ぎとかは全然関係なく、人間ができていて沈着で、まず怒ったことがないところなどからみて、それは、我々の長男だろうと思う、、、、。


お盆だから、そんなことを改めて思い、私を可愛がってくれて、「算術をもうちょっと頑張らねばいけない」といった穏やかな祖父、「ムラ」の役職をいろいろにやって、畑仕事をしながら短歌を頭の中で作った父のことも思い、これが私の供養ではないけど、お盆の感慨の一つです。


昨日の、わずかばかりの収穫物です。


その収穫などする前に、畑に行ってすぐに休憩所の小屋の中に入りこみ、外を見れば明るい夏の日差しである、、、。


暑くても、こういう一日がいいと思ったのですが、昨日も夕暮れに向けてきっちり小雨が降ってきて、気持ちが萎える感じでした。


今日になってニュースで知ったのですが、東京では、8月ついたちから昨日まで毎日降雨を観測したそうですね。


野菜をつくる人は東京では少ないにしても、だれであっても、これはたまらぬ天候ですよね。


朝、南の方を見ると、霧というか雲というか、インドのどっかのように、南の方は「雲の住処」のようで、向こうから見れば、こっちも同じように見えるのでしょう。恐れ入る。


遅い時間に直売所に出荷に行ったところ、その直売所は善光寺の西に突き当たって、北側をぐるっと回った道路の先にあるんですね。


大混雑で、参りました。帰りは、そこを避けて、大きく迂回しましたが、飯縄山も戸隠山も、やはり雲の住処になっていました。


苦手なタマネギの種を、直売所で1袋買ってきました。左の1袋です。この3品種(苦手なので、品種の見立ては、私にはできません。適当に、何でもいい感じ、、、)。


今年は、ネギ類の種は畑に直播するのではなく、セルトレイにまず播いて、定植ではなく、畑には育苗のために仮植することを知って実践したので、タマネギも同じやり方で行きます。


松本一本ネギをセルトレイ5枚に播いたのが、まあまあの感じになっているので、これと同じように、タマネギもやってみます。


今日も一時、4時ちょっと前に激しい雨でした。ぐずぐずしていたら、畑に乗り入れた軽トラが、轍の深い通路で滑って出られなくなる、、、。


そこは、うまく脱出したのですが、激しい雨の中を運転して家に着いたころ、雨はピタッと止んで、青空さえ雲の切れ間から見えました。


これは、夕立と言っていいたちのいい雨です。「もう一度、畑に行こうか?」と、妻に冗談で持ちかけましたが、その気は、なし。


私だって、お盆を記念して、セルトレイにタマネギの種まきができれば、悪くない一日と思っています。

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